贈り物、プレッシャーと共に
贈って楽しい贈り物、もらって嬉しい贈り物。のはずがそうでない時がよくある。
今回はうちの家族の話。
祖父母と離れて暮らしているので、定期的に実家から荷物が届く。中身は野菜だったりお菓子だったり、米だったり。ありがたいことである。ありがたいことではあるのだが、物を送ったと聞くと私の気持ちは一段重くなる。
我が家のルールは『贈り物を貰ったら必ず届いた当日中に電話でお礼を言うこと』である。
これを破るとどうなるか。嫌味を言われます。
「礼も言わん子に育てた覚えは無い」と言われるパターンが一番多い。あとは感謝しろありがたがれというパターンもある。
ちなみに変わった食べ物の場合、到着してからの電話に加え、食べた感想を必ず言わなければいけないというルールも変則的に存在したりする。
そんなことが続いた結果。祖父母(と父親)は喜んで欲しいから贈り物をしているわけではなく、感謝されたいから贈り物をしているんだろうな……。と思うようになった。
正直、お礼の電話をする時、ワントーン声を高くして「ありがとう〜」と言う自分も薄寒くて嫌いだ。
でも、お礼の電話が遅れて嫌味を言われるたび、「ちゃんと礼は言ったのか?」としつこく確認されるたび、心からの「ありがとう」という言葉は私の口からは出なくなっていった。
そんな実家を反面教師とし、贈り物をしても感想を求めないよう自戒としている。……のだが、送ったものがちゃんと届いているかは気になる。配送ミスとかはそんなに起こらないとは思うけど。
贈ったら贈りっぱなし。きっと相手は気に入ってくれるはずという期待だけを胸に収めて自己完結できたらどんなにいいだろう。感想なんかもらった日には儲け物。そんな感じのメンタルでいたい。
バレンタインなのでチョコ
バレンタインなので結構ええ値段のチョコ買いました。
高かったので母と分けて食べます。
普段ならスーパーのファミリーパックのチョコを買うところなのですが、一年に一回だから高いチョコ買って気分を盛り上げようと思ったものの、勿体無いので1日に一粒ずつ食べていくことにしました。
この惑星みたいなチョコレートは何年も前から見たことあって、いいなー綺麗だなーと思ってたんですけど、でも高えよな……と自粛しておりました。今回は勢いで買ったのだけど、一つ衝撃的なことがありまして。
この丸いの球体じゃなく半球……。
惑星を食べられると思っていたのに……。
丸じゃないじゃん〜!!という母の叫び声。
同じことを思いながらも「ま、そうだよね」と冷静ぶる私。人生だしあるあるこういうこと。
来年は気兼ねなく同じチョコが買えるくらい稼げるようになりたいです(七夕風)
化粧は好きだったり嫌いだったり
妹が化粧品の断捨離を行うと言ってたので、私もその波に乗って口紅を2本処分した。
コロナが流行し、マスク生活になってから眉毛とアイシャドウ以外の化粧はほとんどしなくなってしまった。いや、元からあまりしない方だったが輪をかけてしなくなった。もはやマスクはコスメと言っても過言ではない(過言)
毎日化粧してる人すごい(すごい)
私は数年前に化粧のやり方講座みたいなものを受けてから化粧するということの楽しみを知ったけれど、マナーとか社内規定とかとにかく強制されてする化粧が大っ嫌いである。ほんとクソ喰らえである。
なんで高校までは化粧禁止とか言われてたのに大学入って就活始まったら強制的に化粧せにゃいかんねん。しかも自由な化粧ではなくナチュラルメイクとか控えめメイクとか派手な色味は避けましょうとかいちいちうるさい。
素顔を晒すのがマナー違反とか。……素顔じゃぞ!?
化粧と髭剃りを同列に話す人もいるけど、女も髭くらい剃る。加えて腕毛や臑毛や脇毛やその諸々のムダ毛を放置した場合、身だしなみガーとか言われる。髭に関して言えば毛質はどうしても違うから目立つ目立たんはあるにしても放置すればそれなりに「あ……っ髭、生えてますね……」くらいにはなる。
以前脱毛に行った時、ムダ毛って男性も結構見てますからね。とか言われた。誰やねんそれ。どこの誰とも知らないイマジナリー男性を召喚してくるのはやめてくれないか?
うるさい。うるさすぎる。
髭剃りにかかる金銭的・時間的コストと化粧にかかるコストは比べるまでもない。
化粧が悪いと言ってるわけではなく半強制的にコストを負わせる風潮が悪いと思っている。女性の方が賃金安いのはデータとして出ているのに金がかかるものが多い。
私は友人と会う時や出かける時にやる化粧は楽しいので、ポジティブな気持ちで取り組んでいる。
東洋人だから彫りは深くないし一重だが、いつか瞼を玉虫みたいにギラギラさせて街中を歩いてみたい。そうなると服装も考えなきゃね。
日本に生きる全ての人が自分が好きなように化粧をしたりしなかったりするようになってほしい。1日でも早く素顔でいるのがマナー違反とかいう理不尽な風潮がなくなってほしい。
復活して欲しいもの
今週のお題「復活してほしいもの」
今回書きたいことがあまり見当たらなかったので、お題の力を借りることにしました。
復活して欲しいもの……
視力かな……。
私は近視で眼鏡ないと免許通らないレベルの視力なんですけど、大学に入るまではまぁまぁ目が良かった。
両親はずっと眼鏡だったし、妹も早くから視力が落ちていたので、家族で唯一目が良いのが私もって感じだった。そう。大学までは。
最初にぼやけて黒板が見えなくなった時の焦燥感と言ったら……未だに忘れることができない。なんとか涙を出して目を潤してピントを合わせるという文字通り涙ぐましい努力をしていたが、眼科に行ったところ、あっさり視力落ちてますねと診断された。やんなっちゃうよ。
それから眼鏡を作ったものの、未だに眼鏡がそんなに好きじゃないので、普段は裸眼で過ごしている。映画とか観る時とか誰かと待ち合わせしてるときにかけるくらい。
夏とか眼球とレンズの間に熱気が篭るような気がして嫌だし、コンタクトレンズに挑戦したはいいものの目が疲れるし、外すのが下手でめちゃくちゃ涙をこぼすことになる。
まだ私が小さかった頃、住んでいた田舎の夜空と満天の星が忘れられない。
あの光景をもう一度自分の目で見れたらどんなに素敵だろうかと夜空を見上げるたびに思い出してしまうのである。
結婚したくないが誰かと一緒にいたい
令和になったというのに進歩からは程遠く、残念ながら日本は同性婚がまだ認められてない。残念だ。本当に。屁理屈を捏ねて同性愛の差別をする国に素直にムカついている。
私はおそらく異性愛者。おそらくというのは恋愛に本当に消極的で、焦り出して婚活を始める人も多い年齢なんだが、全くその気にはならず、彼氏も別に欲しくない。かと言ってずっと一人で生きていくのは寂しく感じる。できるなら気の合う同性の友人と法的に保証された関係の元で暮らしたい。そんな状態だ。診断とかまともにしたことはないがデミセクシュアルぽいかもしれない。明るくないのでよく分からないが……。
こんな私でさえ同性婚が認められないことに苛つき、悲しみ、不満があるというのだから、当事者の方々の想いの強さはいかばかりか、想像を絶する。
Twitterとか見てると結婚するために海外に行く人もいるそうだ。たしかに日本を見限りたい気持ちもわかる。
私もできるなら女性差別がもっとマシな国に行ってバリバリ働きたい。子育て支援が手厚くジェンダーギャップがあまりない国で生まれたならば、もっと結婚とか出産とかポジティブに捉えることができたのだろうか?でも股の間から子ども産むの無理ゲーだと思うんだよなぁ……。
怖い。無理。
日本は無痛分娩がスタンダードじゃないし、自然分娩崇拝みたいなところあるし。キモいわ〜。怖いわ〜無理だわ〜。
ブッダのお母さんのように脇からスポーンと産まれてきたらいいのにな。
なんの話だっけ。そうだ同性婚の話だ。勢いに任せると話があっちこっち行く。
うちの母はよく言っていたが、(今でも言っているが)お見合い相手の父と世間体のために結婚したらしい。夫婦仲は悪いが男と女がやることやった結果私と妹の子どもできた。
男と女なら結婚できる。たとえそこに愛がなくとも。
そんで、愛があって子どもが出来なくても(意図的に作らなくても)結婚はできる。
だから結婚は本来生殖のためにあるものだという話しは通じない。
同性愛は性別を超えた真実の愛なんていうつもりはさらさらない(性別を超えたという言い方も大っ嫌いだし)それぞれのカップルでいろんな関係があってそこに愛があったりなかったり。色々あるのが普通だと思う。客観的に愛なんて数値化できんわけだし。
でもまずは結婚したい2人が結婚できる仕組みになってほしいと思う。
救世主となるか!?固形シャンプー
嫌いな家事を挙げていく山手線ゲームをやったとして、絶対言ってやろうと思うのが「シャンプーの詰め替え作業」である。アレ、めっちゃ嫌い。
そもそも詰め替えの容器ってイマイチ綺麗に出しきれんというか、絞りきれんというか。
あと、シャンプーボトルは使い切った上で洗浄した後使うのが正解なのか?
私はそのまま老舗の秘伝のタレの如く継ぎ足し継ぎ足し使っているけど、衛生的に大丈夫なのか…?
あんまり良くない気がする。
あとシャンプーボトルというもの自体があまり好きではない。奴は気を抜けばいつのまにか汚れているし、綺麗な状態を保てるほど私はマメな性格ではないからだ。
きっと平安時代にシャンプーボトルがあったら「水垢にてぬめりたるはいとわろし」とか清少納言も呟いていると思う。そして買った当初は透明で美しかったボトルが水垢汚れで鱗のように曇っていく姿はとても物悲しい。クエン酸で落とせることは知ってるけどめんどくさいじゃん……。
一度はシャンプーの詰め替え容器から直接絞り出すように使えるというアイテムもあると聞いたが、レビューを見ているとすぐに壊れてしまったという声もチラホラ。そこそこいい値段がする商品だったので博打は控えたい。
そうしてダラダラと無印の透明ボトルに詰め替える日々を送っていたが、最近「固形シャンプー」というものがあると知った。
見た目は石鹸と同じ。これなら詰め替えの手間もないし、パッケージもシンプルでゴミも少ないといういいことづくしじゃないか。
問題なのはそのお値段。
選んだのはエティークという固形シャンプー。値段は2000円弱。
うわ高っけぇや……
と思ったが、これで普通のシャンプー350ml3本分に当たるそうだ。700円くらいのを買っていたら元は取れる計算……か?私が買ってるシャンプーはもっと安いぞ?家族は私含めショートヘアなのでまあ…なんとかなるだろう。
使い心地などは未知の領域だが、とにかくシャンプーの詰め替えという苦行から逃れたい。
家事の救世主となってくれることを望む。
これ以上ないピアス日和にピアスを開けた話。
ピアスは冬に開けるのが良いと聞いた。友人からのアドバイスである。
数年前にピアスを開けようと思い、情報を収集したはいいものの自分の耳たぶをもちもちと触っていたところ愛着が湧いてしまい断念した。
それがなんで今更開けようかと思ったかと言うと、忘れもしない1月6日に親父から荷物が届いたのに電話をしなかったという理由で理不尽な罵倒をされバチクソにキレ、なんか変わった事してぇな!!と思いついたのがピアスであった。
(ちなみに親父の住んでる家には電話をしたが親父が出なかっただけである)
最初に有名ななんとか整形外科で予約しようとしたところ「現在ピアスの在庫を切らしております」とすげなく断られてしまった。みんなどんだけピアス開けるん?
そして2件目の病院で1月は予約でいっぱいなので2月ならばと去る2月5日にピアスを開けることになった。
住んでる地域はほとんど雪が降らないのだが、その日は立春を迎えたというのに雪がチラついていて容赦なく私の耳たぶを冷やしていく。そういえば市販のピアッサーで開ける時は、予め氷で冷やしておくと聞いたことがある。その方が痛くないそうだ。ならば、この冬の気温が出来るだけ私の耳たぶの感覚を奪ってくれたなら、痛がらずに済むだろうかと思いながら病院に向かった。
病院めっちゃ温かった。
外気で耳たぶを冷やそうとか浅慮過ぎたんや……。
性器ピアスまで扱っている病院らしく、受付の方も軟骨ピアスとか結構な数を開けていて「か、カッコいい〜」と見惚れてしまう。
でも今回はスタンダードな耳たぶに開けるやつだ。
問診票を書き、ファーストピアスを選んで待っていると看護師さんがやって来た。
運動会で使うピストル持ってる…………
どうやらピストル(仮称)で穴を開けるらしい。「ちょっと大きい音がしまーす」と言いながらピストル(仮称)をバチンと鳴らされる。こわい。
もうこの時点で私の手のひらは汗でびしょ濡れで、学校でクラスの前で発表した記憶が蘇ってきた。麻酔とかしないんだ……。
でもここまで来て引き返すわけにもいかずピアスデビューしたかったので覚悟を決める。
「ハイ。行きまーす。3、2、1」
バチン!
耳元で大きな音がした瞬間、穴空いたな、というよりは強く挟まれたなという感覚。
確認のため鏡を見ると金色のファーストピアスが光っていた。思いの外痛くなかったので途端にはしゃぐ私。もう片方の耳も問題なく開き、ピアスを緩めるときに痛みが走ったものの、正直楽勝であった。(怯えていたことを棚に上げて強気)
あとはピアスホールが安定するまでの1ヶ月ちょっと、つけっぱなしで消毒しながら過ごせば良い。
帰り際に「ピアスライフ楽しみます!」と言ったら受付の方がニコニコして見送ってくださった。ありがてえ……。
今の髪型は両耳がほとんど髪で隠れているので、職場でも目立たないのが助かる。別にピアス禁止とかではないが、指摘されるとなんだか照れ臭くなってしまう。
帰ってから髪を耳に引っ掛けつつ「オホー……ええやん……」と軽く5回は悦に浸り、家族から「自画自賛やめろ」と言われた。
今からセカンド、サードピアスが楽しみだ。
ネットで適当に検索して「これいい!」と思ったピアスが一万超えてて目が飛び出したが、集める楽しさもこれから知って行きたいと思う。